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27歳でフリーランスウェディングプランナーになった私が考えていること

誰に何を言われようと幸せになれる服

先日、一枚のセーターを購入した。

黒地に金の毛糸で雲の柄を描いたセーターだったのだけど、可愛らしいモクモくした雲ではなくて、風神雷神が乗っていそうなぐるぐるとした迫力のある雲の柄。

私は一目見て気に入った。

その色や柄のインパクトに気圧されそうになりながら、迷いに迷って、セーターにしてはかなり奮発して、お店の周りをぐるぐるしながら覚悟を決めて、その一枚を手に入れた。

 

 

そういえば、

ここ何年もそういった買い物をしてこなかった。

洋服のことを考えるよりも、自分がどういう仕事をしたいかとか、どういう風に生きたいかを悩んでいたし、正直今も悩んでいる。

だから、あんまり洋服に気を回すことをしなくて、適当に目についたものを買っていた。

あとは、母親と買い物をすることが多かったから、母親がいいと思うものを買っていた。

 

でもそのほとんどの洋服を捨てたし、あー好きだ!と思えるものしか、長く着ていない。

どこかで見たことのある、流行っていたものを買うと、結局飽きてしまう。

安いものを買うと、一年と持たずに雑に扱う様になってしまう。

せっかくいい気持ちになりたくて新しい洋服を買ったのに、捨てるときはあっさりで、寂しい気持ちになったんだった。

自分に似合うものや、好きだ!という自己主張が強く持てなくなってて、それが嫌だと思っていた。

流行りを追うのは嫌だけれど、自分らしさって何かって言われると、それを表現するには少し足踏みしてしまう。

その足踏みを一歩出させてくれたのが、あのセーターだった。

実用的かというと、そうでもない。

リーズナブルでは決して無い。

でも、一目見て好きだと思った。

ひょっとすると大阪のおばちゃんとも捉えられかねない柄と色。

でもきっとずっと好きでいられると思った。

 

自分の周りに置いておくものは、そういうもので固めよう。

どうしてもそう言うものは値が張るから、全てを叶えることは難しいけれど、

優先順位をつけて、少しずつでもいいから妥協の爪痕を消して自分自身をリニューアルしていきたい。

 

お客様を連れて行きたい世界はどこか

お客様を連れて行きたい世界は何か。

自分がその答えをきちんと理解していない限り、お客様はついてこない。

だから、何が理想か考えてる。

 

私が今求めている状況は、家族がもう一度仲良く一緒に居れる時間。

家族がつながっている空間や時間だ。

正直私の家族はもうバラバラだと思う。

子供達が大きくなってからは両親もほとんど話していないし、これからも戻ろうという考えはほとんどない様に感じる。

そういうことって結構いろんな家族の中でも有るのではないだろうか。

それを結婚式の準備やその日一日を通してどうにか修復したいけど、それって正しいアプローチなのかは疑問。

家族の感情は根深いもので、一日でだけは絶対にどうにかできない。

やりたいことは、結婚をする2人に向き合うのではなくて、その2人の家族に向き合うことだから、結婚式という一日の時間を作るウェディングプランナーという仕事は果たして正しいアプローチなのか…。

 

自分がやりたいことは、困っている誰かを助けることなんだろう。

結婚式って、仲の良い家族は何もしなくてもよい雰囲気を醸し出すし、そうじゃない場合はそのままその雰囲気がパーティにもにじみ出る。

だけど、私がお手伝いをすることによって、その空気が変わればいいと心から願っている。

どうしたらそんな魔法使いみたいなことができるのかな。

魔法使いみたいになりたいけれど、空間演出とかではない。

人が変わるときは、対話を通して、相手に言葉や想いを届けたときだと思う。

だから、結婚式でもそうじゃなくても、対話を重ねて、相手を穏やかな世界に導いて、できればそこに一緒に私もいたいんだと思う。

 

そう思うと、また考えが戻るけど、結局結婚式というのはいいきっかけになるのかもしれない。

兄が結婚して、両家の顔合わせをしたときの話を両親から聞いたとき、

お互いの家族のことをもっと話してほしいと思った。

そのためには話せるほどに表に出せる家族関係になっておいた方がいいのだろう。

そこに、私は手を下せるだろうか。

2人を通じて、家族を繋げたい。

私にはわからない2人の世界。2人の家族だけど、きっと話してくれる。きっと向き合えば応えてくれるから、あきらめずに向き合い続けよう。

 

等身大でいること

昨日、保育園のときの幼なじみと話をした。

 

今悩んでいることや、考えていることをなんでかすらすらと話せたのは、赤ちゃんの頃から一緒だったからかと思う。

 

きちんと足元を見て、やるべきことをきちんと全うする大切さ。

自分を大きく見せることは出来るけれど、そもそもベースになることが出来ていなければ、何にもならない。

やるべきことを確実に全うすること。それがあってこそ、それ以上の物が生み出せるはず。

確実に大切なことを漏らさず、落とさず、でも、相手の気持ちに立って仕事をすること。

それが何より大切。

少しずつでいいから、着実に成長していこう。

私はたぶん、大器晩成型。

 

やりたいことをやるということについて

やりたいことを徹底的にやるということは、

やりたいことをやっていない状態に比べて、捨てることやものがあることを覚悟すること。

今は、ウェディングプランナーという仕事をもっともっとやりたい。たくさんの経験を積んで、色々なお客様に最高の一日だったと思って頂きたい。

その為には、やりたいことを絞るしか無い。

サーフィンやいろんなイベントごとへの参加ができなくなるのは仕方ない。

お誘いがあって、ご縁が繋がることはたくさんあるから大事にしたいけれど、自分をもっとスキルアップさせるには、もっともっと自分を高めて、たくさん働こう。

待っていてくれる人がいる限り、怠けていてはならない。

 

do my best

 

文章にすることをためらわない

小学生の時、やたらと本を読む子供だった。

図書室の本を読みあさり、登下校のときには友達がいなくなるとすぐにランドセルから本を取り出し、二宮金次郎のごとく、本を読みながら歩いていたことを覚えている。

 

あのときは、物語をよむのは勿論、書くのもとても好きだった。

 

小学校1年生の夏休みの自由研究では物語を書いた。

うさぎとくまが出会うんだが、引っ越しとかなにかでまた別れてしまうみたいな話だった。

いつだったか、いろとりどりの画用紙に書かれたその物語りが出てきて、読み始めたらなかなか面白かったことを覚えている。

 

兄が通っていた高校の文化祭でもらった風船に、手紙をつけて始まった文通がある。

当時70歳くらいのおばあちゃんから返事が来たとき、私は保育園の年長さんだったけど、自分の物語が始まった…!って感動したことをを覚えている。

 

その文通相手のおばあちゃんには毎日こんなことがあった、あんなことがあったって、ほぼ日記の様に書き綴って送っていた。

おばあちゃんは毎回丁寧にお返事をくれて、そのお返事が来るのが楽しくてすぐに何枚も何枚も手紙を書いて送っていた。

 

今そのおばあちゃんに会えたら、当時私が何を書いて送っていたか聞いてみたいし、現物があれば是非見てみたい。

 

そんなこんなで文章を読むのも書くのも好きだったはずの私はいつの間にか、全く書かなくなっていた。

興味を持たれようともたれまいと、誰に読まれようと、どんな感想をもたれようと、書いて残しておこう。

 

会ったことも無い誰かと、文通をするように。