yo haku

27歳でフリーランスウェディングプランナーになった私が考えていること

起きていないことに思い悩んでも仕方ない

このタイトル

先日あるミーティングで出た一言なんですが、本当に的を得ていて、

それ以来何かを考える時に口癖にしている

 

フリーランスウェディングプランナーというのは、

日々違うお客様と、違う業者(カメラマンや司会者や会場)の人と連絡を取り合い、

あーだこーだいいながらウェディング本番迄物事を進めるのですが、

(その苦労話はここではおいておいて)

その業者さん達との話で出た会話の一部を紹介させて下さい

 

私と同じくあるフリーランスの方が、

『この先の支払いを考えると大きな一歩が踏み出せない』

そう言っていました。

 

気持ちはよーーーくわかります。

社会的な保証がほとんどないフリーランス

ましてや支払い先がいくつかあるとなると、滞らせるわけにはいかない。

だから、今これを大きく一歩やってしまっていいのか、迷うんだと。

 

迷った結果、チャンスを逃すこともある。

逆にその一歩が事業を拡大させるきっかけになるかもしれない。

でも、確信がなくて踏み出せない、と。

 

そこに同席していたある女性(海外で単身ビジネスを立ち上げたが結婚して今は主婦。打合せ時はビジネスのサポートという立場で同席されていました)が、

悩めるフリーランスの方に向けて放った内容を是非読んでほしいです。

 

『何を心配しているんですか。

 そんなのまだ起きもしていない未来です。

 支払いができなくなったらそのときはその時。

 中小企業なんてよくあることです。

 お金がなくなったら借りればいい。貸し合えば良い。

 今は未来のことを思い悩んでやめるのではなく、

 今のベストを選んで行ったらいいんです。

 

 日本人はよくあることだけど、

 今、ある仕事がノっていて、本当はこのままやり続けていたい。

 でも、1時間後に次のアポがある。出かけなくちゃいけない。

 約束の時間に間に合うように、準備をしなくちゃ!と、

 ノっていた仕事をやめてしまう。

 

 そんなの当たり前と思うかもしれないけど、

 もし、そのノっていた仕事を続けたいと思うならば、

 続けて良い成果を残した方がいいんです。

 もしかしたら約束していたクライアントとの仕事はなくなってしまうかもしれない。

 けれど、その仕事がなくなって空いた時間で、別の大きな仕事が入ってくるかもしれない。

 人生そんなものです。先のことはわからない。』

 

きっと、反論はたーーーくさん用意できるでしょう。

・その一つのアポだけじゃなく回り全ての信頼を失うんじゃないか?

・結局大きな仕事が入ってこなかったらどうする?

・お金が借りれなかったらどうする?

・そもそも間に合う様に仕事しろよ

・他の仕事も同じく遅れるんじゃないかと疑われるんじゃないか?

 その通りかもしれないし、

でも、そうじゃないかもしれない。

うまくいくかもしれない。

 

起こっていないことに思い悩んでも仕方ないんです。

だから、今やりたいこと、今つづけたいことを続けるほうがいいのです。

 

怠けるとかそういうことではなく、一生懸命目の前のことをやり続けるというのが正解なんだと思います。

その一生懸命やる内容は、今、誰かに求められているものとは違うかもしれない。

それでもいいんです。自分がしたいなら、それを基準に何をやるか決めれば良い。

それはきっと違う何かにつながっていて、まだ見ぬ未来にきっと良い影響を及ぼしてくれているはず。

やりたくないことを優先して、目先の利益だけを追求しても、きっと想定できる範囲の未来しかやってこないのだと思う。

 

 

私は、私のやりたいことをやる。

人に迷惑をたくさんかけてしまっているけれど、ごめんなさいではなくて、

ありがとうとたくさん口に出して、一生懸命毎日を生きる。

 

起きていないことに思い悩んでも仕方ないから

It's beginig!

yo haku

 

名前が決まりました。

 

1人で、フリーランスウェディングプランナーとして生きて行こうと決めたとき、どんな名前でやろうかと、といくら考えても出てこなかった。

だから、しばらくの間は自分の名前『吉田ゆきの』として自由に働いて生きて来ました。

 

今年2月、3組のカップルをプロデュースしました。

それぞれ全く違う場所(一組は宮崎!)、人数も、空間コーディネートのイメージも、全く違う3組でした。

 

 

ただ共通点は、みんな愛にあふれた人達だということ。

それぞれの生き方の延長線上にウェディングがあって、それぞれがそれぞれの方法でゲストにその愛を届けていたんじゃないかな。
私ができるのはその届け方のお手伝いと、きっとこうしたらもっとよくなるよという背中を少し押してあげること。

私がゲストと新郎新婦の間を一番良い形で繋げられていたら嬉しい。

 

この3組の夫婦とゲストのみなさんのおかげで、私は少し前に進めた。

何がこの仕事でしたいのか、もう一度教えてもらえることができた。

 

 

それぞれがそれぞれの生き方で、それぞれの表現方法で大切な何かを守るお手伝いをしたい。

守ってくれる人を私以外にも増やしたい。

 

私は正直飽き性で、ずっと同じ所にいれないし、ずっと同じことをできない。

その代わりに神様がくれた瞬発力を活かして、新郎新婦がありのままで輝いている瞬間を見逃さずに掴み、それをゲスト皆に知ってもらいたい。
結婚式が終わったその後はきっとそのゲスト達がその輝きを磨いてくれるはず。

新郎新婦自身が磨きをかけるはず。

私はそのきっかけ作りをしたいのだと想う。

 

 

人は、必ず誰かに愛される為に生きて来たと信じている。

1組の夫婦が誰かに愛される様に、より一層愛される様に、ゲストや周りの人に気持ちを尽くし、愛を込めたウェディングをずっと続けていきたい。

 

 

その為には、まずは私が人に渡せる程の愛で身体と心を満たしておこう

愛で満たす為には、そのための空白・余白が絶対に必要だと思う

 

少し物足りないくらいでいいのだ

余白を愛せる人でいよう

誰に何を言われようと幸せになれる服

先日、一枚のセーターを購入した。

黒地に金の毛糸で雲の柄を描いたセーターだったのだけど、可愛らしいモクモくした雲ではなくて、風神雷神が乗っていそうなぐるぐるとした迫力のある雲の柄。

私は一目見て気に入った。

その色や柄のインパクトに気圧されそうになりながら、迷いに迷って、セーターにしてはかなり奮発して、お店の周りをぐるぐるしながら覚悟を決めて、その一枚を手に入れた。

 

 

そういえば、

ここ何年もそういった買い物をしてこなかった。

洋服のことを考えるよりも、自分がどういう仕事をしたいかとか、どういう風に生きたいかを悩んでいたし、正直今も悩んでいる。

だから、あんまり洋服に気を回すことをしなくて、適当に目についたものを買っていた。

あとは、母親と買い物をすることが多かったから、母親がいいと思うものを買っていた。

 

でもそのほとんどの洋服を捨てたし、あー好きだ!と思えるものしか、長く着ていない。

どこかで見たことのある、流行っていたものを買うと、結局飽きてしまう。

安いものを買うと、一年と持たずに雑に扱う様になってしまう。

せっかくいい気持ちになりたくて新しい洋服を買ったのに、捨てるときはあっさりで、寂しい気持ちになったんだった。

自分に似合うものや、好きだ!という自己主張が強く持てなくなってて、それが嫌だと思っていた。

流行りを追うのは嫌だけれど、自分らしさって何かって言われると、それを表現するには少し足踏みしてしまう。

その足踏みを一歩出させてくれたのが、あのセーターだった。

実用的かというと、そうでもない。

リーズナブルでは決して無い。

でも、一目見て好きだと思った。

ひょっとすると大阪のおばちゃんとも捉えられかねない柄と色。

でもきっとずっと好きでいられると思った。

 

自分の周りに置いておくものは、そういうもので固めよう。

どうしてもそう言うものは値が張るから、全てを叶えることは難しいけれど、

優先順位をつけて、少しずつでもいいから妥協の爪痕を消して自分自身をリニューアルしていきたい。

 

お客様を連れて行きたい世界はどこか

お客様を連れて行きたい世界は何か。

自分がその答えをきちんと理解していない限り、お客様はついてこない。

だから、何が理想か考えてる。

 

私が今求めている状況は、家族がもう一度仲良く一緒に居れる時間。

家族がつながっている空間や時間だ。

正直私の家族はもうバラバラだと思う。

子供達が大きくなってからは両親もほとんど話していないし、これからも戻ろうという考えはほとんどない様に感じる。

そういうことって結構いろんな家族の中でも有るのではないだろうか。

それを結婚式の準備やその日一日を通してどうにか修復したいけど、それって正しいアプローチなのかは疑問。

家族の感情は根深いもので、一日でだけは絶対にどうにかできない。

やりたいことは、結婚をする2人に向き合うのではなくて、その2人の家族に向き合うことだから、結婚式という一日の時間を作るウェディングプランナーという仕事は果たして正しいアプローチなのか…。

 

自分がやりたいことは、困っている誰かを助けることなんだろう。

結婚式って、仲の良い家族は何もしなくてもよい雰囲気を醸し出すし、そうじゃない場合はそのままその雰囲気がパーティにもにじみ出る。

だけど、私がお手伝いをすることによって、その空気が変わればいいと心から願っている。

どうしたらそんな魔法使いみたいなことができるのかな。

魔法使いみたいになりたいけれど、空間演出とかではない。

人が変わるときは、対話を通して、相手に言葉や想いを届けたときだと思う。

だから、結婚式でもそうじゃなくても、対話を重ねて、相手を穏やかな世界に導いて、できればそこに一緒に私もいたいんだと思う。

 

そう思うと、また考えが戻るけど、結局結婚式というのはいいきっかけになるのかもしれない。

兄が結婚して、両家の顔合わせをしたときの話を両親から聞いたとき、

お互いの家族のことをもっと話してほしいと思った。

そのためには話せるほどに表に出せる家族関係になっておいた方がいいのだろう。

そこに、私は手を下せるだろうか。

2人を通じて、家族を繋げたい。

私にはわからない2人の世界。2人の家族だけど、きっと話してくれる。きっと向き合えば応えてくれるから、あきらめずに向き合い続けよう。

 

等身大でいること

昨日、保育園のときの幼なじみと話をした。

 

今悩んでいることや、考えていることをなんでかすらすらと話せたのは、赤ちゃんの頃から一緒だったからかと思う。

 

きちんと足元を見て、やるべきことをきちんと全うする大切さ。

自分を大きく見せることは出来るけれど、そもそもベースになることが出来ていなければ、何にもならない。

やるべきことを確実に全うすること。それがあってこそ、それ以上の物が生み出せるはず。

確実に大切なことを漏らさず、落とさず、でも、相手の気持ちに立って仕事をすること。

それが何より大切。

少しずつでいいから、着実に成長していこう。

私はたぶん、大器晩成型。

 

やりたいことをやるということについて

やりたいことを徹底的にやるということは、

やりたいことをやっていない状態に比べて、捨てることやものがあることを覚悟すること。

今は、ウェディングプランナーという仕事をもっともっとやりたい。たくさんの経験を積んで、色々なお客様に最高の一日だったと思って頂きたい。

その為には、やりたいことを絞るしか無い。

サーフィンやいろんなイベントごとへの参加ができなくなるのは仕方ない。

お誘いがあって、ご縁が繋がることはたくさんあるから大事にしたいけれど、自分をもっとスキルアップさせるには、もっともっと自分を高めて、たくさん働こう。

待っていてくれる人がいる限り、怠けていてはならない。

 

do my best

 

文章にすることをためらわない

小学生の時、やたらと本を読む子供だった。

図書室の本を読みあさり、登下校のときには友達がいなくなるとすぐにランドセルから本を取り出し、二宮金次郎のごとく、本を読みながら歩いていたことを覚えている。

 

あのときは、物語をよむのは勿論、書くのもとても好きだった。

 

小学校1年生の夏休みの自由研究では物語を書いた。

うさぎとくまが出会うんだが、引っ越しとかなにかでまた別れてしまうみたいな話だった。

いつだったか、いろとりどりの画用紙に書かれたその物語りが出てきて、読み始めたらなかなか面白かったことを覚えている。

 

兄が通っていた高校の文化祭でもらった風船に、手紙をつけて始まった文通がある。

当時70歳くらいのおばあちゃんから返事が来たとき、私は保育園の年長さんだったけど、自分の物語が始まった…!って感動したことをを覚えている。

 

その文通相手のおばあちゃんには毎日こんなことがあった、あんなことがあったって、ほぼ日記の様に書き綴って送っていた。

おばあちゃんは毎回丁寧にお返事をくれて、そのお返事が来るのが楽しくてすぐに何枚も何枚も手紙を書いて送っていた。

 

今そのおばあちゃんに会えたら、当時私が何を書いて送っていたか聞いてみたいし、現物があれば是非見てみたい。

 

そんなこんなで文章を読むのも書くのも好きだったはずの私はいつの間にか、全く書かなくなっていた。

興味を持たれようともたれまいと、誰に読まれようと、どんな感想をもたれようと、書いて残しておこう。

 

会ったことも無い誰かと、文通をするように。