yo haku

27歳でフリーランスウェディングプランナーになった私が考えていること

新月

静かな静かな夜。

遠くの足音も、息遣いも、犬のいびきも聞こえてくる。

風もなく、車の音もしない夜。

明日は何かが動く日。

 

今までも多くの変化の中でいきてきたけれど、

先日迎えた29回目の誕生日を経て、やっと立ち上がった気持ちになっている。

 

立ち上がることは簡単だ。

これからはその足で、止まることなく、

前へすすめ。

YUKINO

屋号を決めました

 

何度か屋号(=仕事をする時の活動の名前、と私は思っています)を決めてきましたが、ようやくようやく決めることができました。

YUKINO という名前にします。

ずっと、『自分の名前だけは嫌だ!』と思っていたけれど、私が自分の本音で何かを伝える時の中心になっている考え方を一言で表そうとしたら、私が長年付き合って来た名前になりました。

 

正直、今の仕事は100年先も同じかどうかはわからない。それに、結婚式というもの自体どんなカタチになっているのかも分からない。

それと同じ様に、これから私の仕事の内容や、それに付随した考え方が変ることもある。でも、少なくとも私が私であることに変わりは無い。私は私のままでいればいいのだ、と思う様になりました。

それと同時に、周りの人にもあなたはあなたのままいれば良いということを伝えたいと思う様になりました。

もちろん、自分の長所と短所をきちんと把握して、それを乗り越えて行くことは素晴らしい。ただ、人と比べて自分にはこれができない、あれができないと嘆くのではなく、

『自分は自分だ』だから、『自分の好きなこと、得意なことを磨こう』という発想を皆が持つことができたら幸せだなと思っている。

私は他の誰でもない私、である。あなたも、他に代えようの無いあなた!

特に誰かに勝たなくても、生きているだけで素晴らしいから、素直な気持ちのままなんでも打ち明けてくれて構わないし、多分そういう打ち明ける癖を付けていればどんどん楽になる。苦しむことは人生じゃない。

 

そんなこんなを思って、まわりまわってぐるっと巡って、一番つけたくないと思っていた自分の名前を屋号にしました。

私は私だ。あなたもあなたのままでいればいい。それだけで十分素敵だよ。

 

 

ドリスヴァンノッテン


備忘録

2年前の年末、たまたま目にした、たまらなく惹かれるセーターがありまして
値札を見たら目が飛び出たけど
幸運なことにアウトレット価格で半額でした。
(それでもすごい値段)
閉店間際まで悩んだ挙句、それでもやっぱり!と手に入れたセーターでした

変わった柄だしシルエットも私の身長にはとても難しくて笑
全然着こなせないんだけど、すごくお気に入りで後悔は全くなし

そのセーターのブランド、ドリスヴァンノッテンの映画が公開されたということで久しぶりに新宿武蔵野館で映画鑑賞🎬

ドリスさんが仰ってたのは、『タイムレスな服を作ること

色の組み合わせや柄はとても奇抜だけど、たしかにシルエットはどれもそんなに変わらなくて
新しいアイディアではあるけど、流行のものではない
持ち主と一緒に持ち主の個性を引き出す服を作りたい

そういう考えがわたしも好きだなと思いました
ファッションや流行というのはなぜかずっと苦手で
空虚なものという印象が拭えずすごく斜めから見てしまう自分がいたのだけど、
ここ3〜4年で、お洋服を大切にする人たちに触れ合う機会も増えて、
おしゃれというのは1つの表現なんだと思うようになりました
とても哲学のある洋服たちも多い

あと、『何事にも全力で取り組むこと』
庭仕事も、家事も、仕事も、旅行も。
美しい庭に美しい邸宅に住むドリスさんとパートナーのパトリックさん

あぁなりたいとか本気で思えないと言えないけど
あぁなりたい。


それと
大学生の頃やたらめったらわけのわからない映画を観に行ってた新宿武蔵野館は見違えるほど綺麗にリニューアルされてて少し寂しくもあったけど映画のチョイスは相変わらず好きです
.
どうでもよい
備忘録

君は君なのだ

仕事が自分で、自分=仕事だ。

だから、仕事上のミッションと、自分の人生のミッションは同じだ!と考えている人に会った。

仕事を自分ごととして取り組み続けるから、とても成果を上げていたし、

素晴らしい仕事ぶりをする方だった

 

しかし、人生の目的を、仕事と全く一緒にすることはできなくていいんじゃないかな。

だって、あなたは貴方だし、貴方が衣食住を満足にできる為に仕事をしているだけで、仕事はあくまでお金を稼ぐ方法だ。

もちろん、その仕事が楽しいにこしたことは無いし、やりたいことをやって稼いでいることが理想。

でも、今、仕事に不満が無くて、今後も、意欲的に働こうとしている人には、貴方の人生仕事だけじゃないよって伝えたい。

仕事してなくても、あなたは居るだけで素晴らしいし、次に別のことを始めてもそれはそれで応援するよ。

なんというか、今の世の中、ライフ=ワークで生き甲斐を持ってやっている人が増えてて、とても良いことなんだけど、

なんというか、ワークが見つからない自分はだめだ、みたいなのもちょっとおかしいし、

これだというワークが見つかった人が、ライフの全てそれに捧げる!みたいなのも、ちょっと大変じゃない?

ライフ=ワークなら、ライフステージが変れば、ワークも変わって良いよね。

あるときは好きなことだったからって、何十年も同じ仕事してなくていいのよ。

私は飽き症だからそんなこと誰に言われなくても、やってることや好きなことかわっちゃうんだけど、

真面目で、これ一本!って思ってる人に届けば良いな。

 

と思ったのでした。

 

 

なんでみんな誓いのキスするの?

挙式のことをかんがえている。

パーティではなく、挙式。

指輪の交換とか、誓いのキスとかする、あれです。

 

挙式には種類があって、宗教上のルールに則ったものか、そうでなく自由にやるものか。

いろいろとあるのです。

その内容について、相当真剣に考えている人っていないんじゃないかと思う

 

お葬式でよくあるのは、仏教の教えに則ってお経を読み上げたり、お焼香しますよね。

 

結婚式で今、一般的なのは、『キリスト教式』。

キリスト教の教えに則って賛美歌歌ったり、誓いの言葉を唱えてはい、はい誓いました。ってやりますよね。

 

キリスト教式を選択するのなら、本当は教会に通って、結婚とは、夫婦とは、キリストの教えとは、という教えを受けた上で誓って欲しいなと思います。

賛美歌を歌うことや指輪の交換、ベールアップ、それぞれなんなのか知っててやってる人っていないと思うんです。(私も、自信ない。勉強しなきゃな)

仏教のお葬式でも、正直お坊さんが何言ってるかほとんどわかりません。

きっと、魂さんいいところに行ってね、成仏してね。って言ってるんだと思います。

私も身内が亡くなり、法事を重ねるにつれて毎回ご住職の仰る内容が深くて深くて。教えをいただいてます。

 

それと同じ。

 

結婚式は順番が逆で、結婚式の前にそういった教えをいただいて、挙式を迎えてもらいたい。

挙式って儀式的でつまらないかもしれない。

でも、結婚って遊びじゃないし、人生変わるわけですから、本気で覚悟をして欲しい。

自分も、相手も、家族もみんな巻き込んで人生を変えるわけですから。

 

ちなみに、お葬式について。

これは私個人の解釈ですが、身内や大切な人を亡くしたりするとすごい辛くてなにも考えられなくなります。

なので、意味わかんないけどとりあえずお焼香しながら頭を下げたり、ウニャウニャ言ってるお坊さんのお経を聞いてると、自分の気持ちとか故人との思い出に浸って悲しい感情に浸れる。

気づいたら涙が溢れて、枯れる。すると気持ちも楽になり、心が少しだけ楽になる。

それが、お葬式をあげる意味合いの8割くらい占めてると思う。

感情に浸る時間。

 

結婚式はどうかというと、

儀式的な流れに則ってみんなに見守られながら、

『あなたたち、浮気しないね?!支え合うよね?!どんなときも!!』って言われ、『Yes』としか言えないシュチュエーションで『Yes』という。

よし、この子を大切にするぞって、みんなの前で言ったから、あなたを大切にするわって、覚悟を決めるてるのよね。

その時間はすごく大事だと思います。

でも、それが何年も大切にしたい時間になるかというと、なかなかそうはいかない。

何が大事かというと、式を作る人間(牧師先生とかウェディングプランナーとか司式者とか)の人間性や考えの深さが関わるんだと思います。

(私やばい。)

だから、宗教の教えから、結婚って何かという教えを唱えられる人が式を行うって実はとても理にかなってるのだと思います。

 

対して今は挙式も自由に!という流れがすごく強い。

もちろん、自由にやることはいいと思う。

でも自由にってだけがとりだたされるのは本質的じゃないと思う。

 

2人が何を誓うのか、夫婦とは何か、結婚とは、家族とは、2人と結婚式を作る作り手で考えを重ねて作るものだと思う。

それって、めちゃくちゃ大変なことですよ。

だって結婚したことないんだもの。

 

2人やウェディングプランナーが考えたコンセプトもいいでしょうし、

2人らしいとかも大事。

でも、

本当にあなたの人生をかけて、相手の人生を巻き込んで結婚するのなら、きちんと相手と向き合い、結婚する覚悟があるのかって膝付き合わせて議論して、その結論を宣言する挙式をしてほしい。

 

それに、今はなぜか、パーティの内容ばっかり考えて、いかに楽しくするか、いかに可愛く(かっこよくとか美しく)とかに注目が行きがち。

もちろん、お祝いだから、せっかくだから、

なんにせよ、いい方がいいし、素敵な空間は人をわくわくさせる。

ゲストも喜んでもらえる。それにはお金を払う価値がある。

だけども、

結婚式はショーじゃない。

特に挙式は、人生の節目を祝う儀式だと思う。

この儀式を通過したから覚悟できたと言える時間にする必要がある。

そうじゃないならやらなくて良い。

 

披露宴は互いを披露する時間なので、

本当の意味で2人らしく自由にやればいいと思うけど、

挙式であなたは、なにを誓ったの?

どんな感情になった?なってるの?

何に、どんな誓いを立てたの?

それが大事だと思う。

 

パーティの方がウェディングの仕事をする上ではお金になる。

たくさんの人が飲み食いして、引き出物を購入して、お色直しやケーキと登場するのでね。

 

でも、『結婚式』として、本当に大事なのは挙式だと思う。

 

そして、もし人前式というオリジナルで作れる挙式をするというのなら、0から本気で考えて欲しい。

言われたままに誓いの言葉を読み上げて、指輪を交換して、キスしてんじゃないの?

それ、キリスト教式と同じですよ。

 

だれでもいいから、誓いを立てるに相応しい人間や場所、時間や空間を2人でとことん話し合って、

その条件で挙式をするのはどうでしょう。

 

そんなこと。

 

そんなことを妄想してる。

 

誓いのキスは見世物じゃないのよ。

 

くうき を読めよ

私はよく人から 空気が読めない と言われる

 でも最近は空気が読めるって別にいいことじゃないと思ってる。

好きな時に好きなことしちゃって、結構相手のこととか人がどう思ってるとか、皆がどうするかとか無視(正確に言えばそれを思って逆のことをする)ことがある。

だって、同じことしてもつまらないし、意外性もないし、予定調和はつまらない。

空気を読んでやらなきゃ行けない場面はあるけれど、それに全ての判断を委ねていては自分の意思が無くなる。

私が大事にしたいのは 自分の意思 だと思っている。

私がどうしたいか、何をしたいか、どんな風に生きていたいか。

・・・これはいつかまた書こう。

 

そんな空気の読めない私ですが、空気を読みたいと思うときもある。
それは、結婚式のパーティの時間だ。

空気を読んで、ゲストが退屈してないか、料理に飽きてないか、新郎新婦にだけ注目が言って、気まずい空気になってないか。 

そういうのを感じてパーティを作るのは司会者だし、キャプテン(披露宴会場でスーツ来て新郎新婦先導したりする人)なのです。

もちろん私のようなプランナーがキャプテン業務を担うこともあるけど、ホテルや大きな会場ではそうはいかない。
キャプテンと司会者の機転によって、その場その場で空気が変る。
ゲストの層や求めているもの、雰囲気、新郎新婦の人柄、そういったものをうまく嗅ぎ取って進めて行くのがプロだろう。


先日あったことを書きたい。

とてもにぎやかに楽しいパーティだった。

お色直しが終わり、デザートブッフェもほとんど取り尽くされて、もう終盤。

さてさておひらきですかね、という時。
その日はパーティ中にチーム制でワインのテイスティングゲーム(値段当てクイズ)をおこなっていたから、最後にその答えの発表と景品のプレゼントを予定していた。

正解したチームの発表は新郎のご両親から、

景品の授与は新婦の両親に行ってもらう段取りだった。
私とキャプテンと司会者さんで、いい感じだからそろそろお開きの流れにいきましょうと話していた。

景品を両親から渡してもらうから、渡し終わったら、そのまま新婦から両親への手紙(この日は子育て卒業証書)を読んで渡す流れにしましょうとなっていた。

司会者さんから答えの発表があり、両家の両親には前にでて来てもらい景品のプレゼントを渡したところまでは予定通りだった。

しかし、なぜかその後、キャプテンが両親を席に座らせてしまったのである。

そして、司会者さんはご両親から聞いたほっこりエピソードを披露し出してしまった。そんな指示はしていないから、インカム(トランシーバーのような連絡ツール)で、すぐに両親を立たせて開いてください!と指示したが、

時既に遅し。

キャプテンからは、『だめだよ!両親も(司会者さんの)スピーチ聞いてるから立たせられない!』とのこと。

ゲストはなぜか司会者の声に耳を傾け、デザートも何も載っていないテーブルの上を眺めながらお話を聞く時間。
いやいや、2人が望んでいたのはこんな時間じゃない。
皆で和気あいあいとしながら最後まで楽しむパーティだった。
歩き回っていて不自然じゃないパーティだった。

最後のおひらきの数分。

へんな間があいてしまった。

くやしーーーーーーーーー!!!!

ただただ悔しかった。
連携がとれていなかったことが。

でも、どう考えてもあのタイミングで両親を座らせてはならなかった。
そのままお開きにするべきだった。
何日経ってもあのゲストが、『今、席立って平気?』みたいな空気が忘れられない。

なんであんな空気になってしまったのだろう。

新郎新婦も、きっとゲストだってそこまで変には思ってないはずだ。

でも、私は許せない。

あんな空気にしてしまったことが悔しい。

 

以上、反省文でした。

the essence

The essence

【余白】を改めて名前をこちらにします。

 

直訳そのまま、【本質】という意味です。

私、滑舌悪いので言いにくいのですが、頑張って流暢に発音したい

 

ジ エッセンス とよんで下さい。

 

私は、小さい時から

何をするにも、これはどうしてこうなっているんだろう?とか、

なんで、これをしなきゃいけないんだろう?とか、

私は何を求めているんだっけ?とか、

どうしてどうして、それって意味あるの?というのをいつも考えてしまいがちでした

 

おしゃれだから〜とか、流行ってるから〜とかっていうのはあんまり好きではなくて、
自分にとってこういう理由でいいと思うからやりたい。

というのが強くて、仕事は特にそれを曲げずにいたいなと。

 

ウェディングのこと、よく考えるんですが、

とってもいい一日になるし、

すっごくいい思い出になるし、

最高に幸せな時間だって、

よく思います。

 

だからこの仕事が好き。

でも、もっともっと根本的に大事な意味や、こうだからこれが必要!と言い切れるきちんとした意味や効果が私は欲しいと思ってしまう。

 

私は、結婚式は、

『結婚する』と誓うことと、

結婚する相手を紹介し、新しい人間関係を作ること

これがメインだと思います

 

初めましてとあった家族や友人同士が、いかにつながれるか。

結婚式の日には、2人にとって、とても大切な人達が目の前にいるから、

是非その人達に自分大切なパートナーと繋がってほしい

そしてこれからの2人の夫婦生活を応援してもらい、困った時には助け合えるような関係になってほしい

そうするための時間がパーティで、

夫婦や家族単位で、結婚してから起こるであろう様々な困難を乗り越えられるように

きちんと教えを頂くか、2人自身で考えてその内容を宣言し、形に残すのが挙式

だと思う。

 

本質的には何が必要なのか

正装する必要が本当にあるのか

食事をする必要があるのか

どこでやるのが一番ベストなのか

 

本質的には結婚式ってなんなんだ?

 

この答えを一緒に考えてくれる2人と結婚式を作りたい。