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27歳でフリーランスウェディングプランナーになった私が考えていること

等身大でいること

昨日、保育園のときの幼なじみと話をした。

 

今悩んでいることや、考えていることをなんでかすらすらと話せたのは、赤ちゃんの頃から一緒だったからかと思う。

 

きちんと足元を見て、やるべきことをきちんと全うする大切さ。

自分を大きく見せることは出来るけれど、そもそもベースになることが出来ていなければ、何にもならない。

やるべきことを確実に全うすること。それがあってこそ、それ以上の物が生み出せるはず。

確実に大切なことを漏らさず、落とさず、でも、相手の気持ちに立って仕事をすること。

それが何より大切。

少しずつでいいから、着実に成長していこう。

私はたぶん、大器晩成型。

 

やりたいことをやるということについて

やりたいことを徹底的にやるということは、

やりたいことをやっていない状態に比べて、捨てることやものがあることを覚悟すること。

今は、ウェディングプランナーという仕事をもっともっとやりたい。たくさんの経験を積んで、色々なお客様に最高の一日だったと思って頂きたい。

その為には、やりたいことを絞るしか無い。

サーフィンやいろんなイベントごとへの参加ができなくなるのは仕方ない。

お誘いがあって、ご縁が繋がることはたくさんあるから大事にしたいけれど、自分をもっとスキルアップさせるには、もっともっと自分を高めて、たくさん働こう。

待っていてくれる人がいる限り、怠けていてはならない。

 

do my best

 

文章にすることをためらわない

小学生の時、やたらと本を読む子供だった。

図書室の本を読みあさり、登下校のときには友達がいなくなるとすぐにランドセルから本を取り出し、二宮金次郎のごとく、本を読みながら歩いていたことを覚えている。

 

あのときは、物語をよむのは勿論、書くのもとても好きだった。

 

小学校1年生の夏休みの自由研究では物語を書いた。

うさぎとくまが出会うんだが、引っ越しとかなにかでまた別れてしまうみたいな話だった。

いつだったか、いろとりどりの画用紙に書かれたその物語りが出てきて、読み始めたらなかなか面白かったことを覚えている。

 

兄が通っていた高校の文化祭でもらった風船に、手紙をつけて始まった文通がある。

当時70歳くらいのおばあちゃんから返事が来たとき、私は保育園の年長さんだったけど、自分の物語が始まった…!って感動したことをを覚えている。

 

その文通相手のおばあちゃんには毎日こんなことがあった、あんなことがあったって、ほぼ日記の様に書き綴って送っていた。

おばあちゃんは毎回丁寧にお返事をくれて、そのお返事が来るのが楽しくてすぐに何枚も何枚も手紙を書いて送っていた。

 

今そのおばあちゃんに会えたら、当時私が何を書いて送っていたか聞いてみたいし、現物があれば是非見てみたい。

 

そんなこんなで文章を読むのも書くのも好きだったはずの私はいつの間にか、全く書かなくなっていた。

興味を持たれようともたれまいと、誰に読まれようと、どんな感想をもたれようと、書いて残しておこう。

 

会ったことも無い誰かと、文通をするように。